沿革

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沿革

島津藩薩摩藩主島津氏の
菩提寺からはじまりました。

鹿児島玉龍高等学校の前身は、昭和15年創立された鹿児島市立中学校と鹿児島市立高等女学校です。
その後、昭和25年に鹿児島県玉龍高等学校となり現在の校名になったのは、昭和32年のことです。校名は、島津藩薩摩藩主島津氏の菩提寺であった玉龍山福昌寺跡に建てられたことによります。
この福昌寺は藩内随一の学問所として教育・文化の中心地であった。明治維新で活躍した志士にも大きな影響を及ぼしています。校章の龍舌蘭三葉の三つの方向は溌剌、玲瓏、躍進を表し、中心の玉は円満な人格を表しています。

玉龍山福昌寺跡

出典 鹿児島県観光サイトかごしまの旅

1958年
国公立大学合格者数が県内一位(昭和29年度)
1971年
全国高校野球選手権大会(甲子園)第2試合まで勝ち(今治西4-6)、準々決勝(桐蔭学園1-0)で敗退(高校野球)
1990年
創立50周年記念式典開催
2006年
鹿児島玉龍中学校を併設、中高一貫校となる

校訓

溌剌(体)

身体を鍛錬し、常に溌剌と気力にみちてあれ。

躍進(知)

学問に沈潜し、知識を磨き、日々躍進せよ。

玲瓏(徳)

実践を重んじ、修養に励み、玲瓏の若人となれ。

校章

鹿児島玉龍高校・中学校校章

「玉」を中心にして、「龍」は「龍舌蘭」で、三葉をもって包んである。
「玉」は円満な人格を、「龍」は「龍舌蘭」、龍舌蘭の三葉は知・徳・体を表わし、
全体の三角形は向上進歩する“若さ”を象徴している。
知・徳・体の調和のとれた教育によって、
玉の如き円満な人間を育成するという意味が込められている。